古代を生きたソクラテスという哲学者がいる。彼の考え方の一つに、『無知の知』というものがある。
文字通り、「“知らない”ということを“知る”」ということである。
由来は、ソクラテス自身の経験から。
かつてアポロン神殿の巫女に「あなたは賢い」と言われたことがあった。
しかしソクラテスは、善とは何か、正義とは何か。自分はその意味を知らないのに、なぜ賢いと言われるのか?と疑問に思った。
そこでたくさんの賢者に善や正義の意味を尋ねたが、本当に知っている人(説明できる人)はおらず、みんな“知っていると思っているだけ”だと気付いた。
それから、ソクラテスは“知らないのに知っていると思っている人”よりも“知らないことを知っている人”の方が賢いという結論に辿り着いた。
またソクラテスは、自分の利益ばかりを考え、でたらめな議論を繰り返す当時の政治家たちにも、無知を自覚させようと問答による改革を試みた。
例えば、「勇気とは何ですか?」と問うと「何事にも恐れないことです」と返ってくる。
それに対し、「何も考えずに突っ込むのは勇気ですか?」「戦いの場なら、それで味方が死んでしまうかもしれません」などと問い、対話を繰り返す。
そうすると、政治家たちは無知を自覚し、少しずつ本質を探し出すようになる。
このような対話は、相手を言いくるめて論破するためではなく、相手の中にある知識を正しい形で生み出す手助けをしたいという、ソクラテスのまっすぐな思いから生まれたものである。
ソクラテスの最期は、無知を暴かれた権力者の反感によって死刑に処されるという残酷なものだった。
しかし、最後まで“自分の無知を認めること”が学びの出発点だという考えを曲げず、彼は問い続けた。その真理を追い求める姿勢そのものからも、学べるものがあるだろう。
さて、今日、公立高校一般入試を終えた受験生のみんな、本当にお疲れさま!
ここまでよくがんばってきたね!
特に夏休み以降の半年は、入試過去問を中心に難しい問題に触れる時間が格段に増え、「これできない…」「あれ全然覚えていない…」と、自分の無知に向き合う苦しい時間もあったと思う。
勉強はまさに、『無知の知』の連続。
ただ、無知は恥ずかしいことではない。
ソクラテスがそうしたように、ひたすらに自分の無知を認め、向き合って、「なぜ?」「どうして?」と問いを繰り返す。
そうして正しい答えを見つけ、少しずつ無知が自分の知となり力となるよう、努力を積み重ねていくのである。
夢現塾生のみんなは、間違いなく、その努力を積み重ねてきた。
だから自分を、夢現塾を、信じて、胸を張って3月10日を待とう。
笑顔のみんなと卒業パーティーで会えるのを、楽しみにしています!