「黒船襲来」「〇〇界の黒船」
さまざまな分野で新しく日本に来日した「人物」や「物」に対しての宣伝文句。グローバル社会、国際社会と呼ばれる中でもまだまだ黒船が来航する未開拓の分野はあるものだ。
黒船の元祖といえばご存じペリー。江戸時代幕末の1853年、鎖国をしていた幕府に「開国しなさーい」と戦艦4隻(いわゆる黒船)を引き連れてやってきたアメリカ人だ。アメリカとは交易のない江戸幕府に対して、日本をアメリカの捕鯨船の寄港地にする交渉を大統領から依頼されたペリー。香港や沖縄(当時は琉球王国)などに寄港しながら約8か月かけて浦賀(神奈川)に来航した。というような内容は、小学校の歴史でも習う。
そのペリー。翌年日米和親条約の調印、下田と函館の2港の開港に成功して帰国する際に、江戸幕府から下田の石が贈られている。なぜ石なのか。黒船を石の重みで沈めてやろうという幕府の嫌がらせではない。
実はペリー艦隊が日本に来た頃、アメリカでは初代大統領ジョージ・ワシントンの偉業をたたえるための記念塔が首都ワシントンD.C.に建設中で、記念塔の吹き抜け部分の内部の壁には世界中から贈られた石がはめ込まれることになっていたそうだ。幕府が贈ったのはそのためなのだそうだ。
この記念塔の高さは169m。1884年に完成したその塔の下から65mの位置に「嘉永甲寅のとし(1854年)五月伊豆の国下田より出す」と書かれた60cm四方の石が今でも収まっているそうだ。ちなみにペリーは函館や沖縄の石も持ち帰っている。また、沖縄の世界遺産になっている中城城(なかぐすくじょう)の石垣の建築技術の高さに驚嘆したという記録も残っている。実はペリーは「石」が好きなのかもしれない。
ペリー来航前には、ロシアのラクスマンやレザノフが同じように開国を求めて来航したが、幕府はかたくなに拒絶し、彼らの開国は失敗した。一方ペリーは「時代の流れ」が味方したこともあるだろうが、強い意志を持って来航し開国に成功した。まさに「意志あるところに道は開ける」である。
我慢強く辛抱すれば成果が得られるという「石の上にも三年」ということわざもある。石のように固い意志を持ち、あきらめない気持ちを持つことで道を開いた先人にあやかりたいものである。