世間は今サッカーW杯に燃えているところだが、私は年始に行われる高校バレーの全国大会、通称「春高バレー」の方へ意識が向いている。
それくらい、私はバレーが好きである。ただ、好きではあっても、自分のプレーに自信はない。
中学は、在学当時はバレー部がなかったため、陸上部で砲丸を投げ飛ばし、
高校はバレー部には入ったが、正直強いチームではなかった。
大学は、東海地方では最上位の1部リーグで戦うチームではあったが、私自身にそのレベルで同等にできる力があったわけではなく、基本ベンチで、ピンチサーバーとしてコートに入るくらいだった。
なので、自分よりもバレーが上手くて強い対戦相手やチームメイトに対して、「羨ましい」「私もああいうプレーをしたい」と思った回数は計り知れない。
今でも思う。
真剣にバレーに打ち込んで、強豪校のレギュラーにでもなれば、3割増しで輝いて見えて、多少はモテただr・・・
いや、違う違う。
中学にバレー部があったら、私の選択は今と違っていただろうかと。
バレーの強い高校に進んでいたら、今よりもっとバレーが上手くなっていただろうかと。
そうやってバレー漬けの人生を送っていたら、大学でも活躍できただろうかと。
これはないものねだりだ。わかっている。
それでも、試合でコートを駆け回る選手を見るたび、後悔に近い感情が生まれる。
本当に、これで良かったのか。
辛い時間の方が長いとしても、学生時代をバレーに費やした方が良かったんじゃないか。
ただ現実は、私の人生、どちらかというと勉強が主軸になっている。“教える仕事”を目指して、高校・大学と、勉強ができる環境を自分で選んできた。
もちろん、そこでバレー中心の環境を選ぶこともできた。それでも、結果として私は今の出身校を選んだのだ。
きっと、バレー中心の環境を選んでいたらそれはそれで、「賢い人はかっこいい」「もっと勉強が頑張れる、学力が上がる環境を選べばよかった」と思うのだろう。
そうなると、永遠に私は、自分の過去の決断を悔やんで、他人を羨んで、自分に満足できない日々を送らなければならない。でも、それは嫌だ。
そうなったときに考えるべきは、自分にないものではなく、“あるもの”だと思う。
ないものねだりではなく、あるもの磨きをする方がいい。
これは、いろんな人に言えることだと思う。
MJテストが終わった小学生、期末テストが終わった中学生。
みんな、テストに向けてコツコツ勉強を頑張ったと思うが、それでも結果・点数だけを見たら後悔があるかもしれない。「あの子の点数羨ましいな」と思うかもしれない。「この教科より、あの教科の勉強もっと頑張ったらよかった」と思うかもしれない。
でも、もうそのテスト前の時間は戻ってこない。落とした点数はもうどうしようもない。
じゃあ、何が“ある”のか。
それは、次はどうしたら良いのかという“反省”と、次はもっと頑張ろうという“気持ち”。
そして、その反省を磨いてより具体的に。その気持ちを磨いて確かな向上心に。
何でも100%成功する、思い通りになる、ということはとても難しい。
だからこそ、過去にこだわって、ないものねだりをするのではなく、未来を考えて、あるもの磨きをしてみよう。
そうやって、自分の選択を自分の力で正解にできるようになることが、成長に繋がるんじゃないかなと思う。